種子島とは、日本における最初の銃砲と言えるもので、 種子島銃もしくは火縄銃とも言う。 日本史で鉄砲と言えばこれを指す。
使用方法は、先ず銃口から火薬を注ぎ、そして専用の樫の棒で弾丸を詰め込む。 鉄砲には様々な口径があるが、小筒と呼ばれるものは8.5〜18.3mm(1〜10匁) 程度の弾丸を用いる(匁≒3.75g)。形は球体である。 火皿にも火薬を盛り、火鋏みに火縄を取り付ける。 そして引金を引けばカラクリ仕掛により、バネで火鋏みの火縄が 火皿に当たり、火薬に着火され、弾丸は発射される。 この作業には熟練した者でも20秒かかり、速射性に劣る事が欠点であった。 また火薬が水に濡れるため、雨の日は使用できないという弱点もあった。 しかしながら当時の弓矢に比べ威力は強力で、100m程度の距離から敵を 仕留める事が可能である。威力はなくなってはいるものの単純に弾が飛ぶ距離なら 700m位あった。
種子島銃は、1543年、種子島を訪れたポルトガル人から 種子島時尭が買い取ったのが始まりである。 彼は二丁買い入れ、一丁は室町幕府に献上、もう一丁を家臣に命じて研究させた。 苦労の末、各地で製造及び販売が行われるようになったのである。 当時は戦国時代で、高度な刀鍛治の技術があり生産もそう難しい事ではなく、 各地の武将からの需要も多かったのである。 鉄砲が活躍した戦として1575年の長篠の戦いは有名である。 織田・徳川連合軍は3000の鉄砲隊を率い、1000人ずつ三列交代で行う事によって、 火縄銃の弱点を解消した。 それにより武田軍の騎馬隊に銃撃を具間なく浴びせ、 当時最強と謳われた彼らを撃破、勝利を得た。
鉄砲は当時の戦術に変化を与え、城の造りも変わった。 そして天下統一の時期を早めたと思われるが、鉄砲の有無に 関わらず、織田信長あるいは豊臣秀吉もしくは徳川家康が天下 統一へ向けて頂上へ上り詰めるという歴史が揺るぐ事はなかったと思われる。
当時使用されていた火薬は黒色火薬というもので、 とある配合例は硝石が70%、硫黄が15%、そして木炭15%というものだ。 混合の割合は様々なものがあり、使い分けがされていた。 原料は学校の理科室等で簡単に入手出来る為、 私にとって理科室は格好の遊び場であった。 日頃からフィルムケースや薬の小瓶等を確保しておいたのだ。 勿論、良い子の皆さんはこんな危険なマネはしてはいけない。
項目 | 内容 |
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名称 | 種子島 |
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分類 | 火器/銃砲 |
全長 | 80〜185cm |
重量 | 1.5〜5kg |
射程距離 | 100〜300m |
時代 | 16〜19世紀 |
地域 | 日本 |
文化圏 | 日本、安土桃山時代、戦国時代、江戸時代 |
更新日:2005/03/21