キュシトンとは騎兵用のサリッサである。基本的な構造は変わらない。 騎兵用である為、サリッサよりは短い。 騎馬の突進を生かした用法の長槍として、中国では槊、 後の西洋ではランスといった武器がある。
マケドニア軍並びにアレクサンドロス大王の強さの秘密は騎兵戦術の有効活用にある。 それまでギリシア軍にヒッペイス即ち騎兵が存在しなかったわけではない。 しかし当時のギリシア軍主力は海軍にあり、肝心のアテナ軍も騎兵の役割は ディエレウネーテースと呼ばれる斥候だけに留まった。 当時ヨーロッパでは鐙が存在しなかった為に、騎兵の活用が出来なかった。 鐙無しに騎乗するには、馬の胴体を自らの腿と足で押さえ込まなければならないが、これには訓練が必要である。 騎兵に就く為には、幼い頃から馬のある生活を行っているか、評議会の審査と票決を得て馬を養う費用を支給してもらうかのどちらかである。 その為、マケドニア騎兵を傭兵として雇っていたのだ。
フィリッポス2世並びに アレクサンドロス3世の治下では、 騎兵は王の友といった意味を持つヘタイロイと呼ばれた。 少数ではあるが、王直属の精鋭部隊である。 アレクサンドロス大王の戦術は、先ず軍の主力であるマケドニア式ファランクスで前面の敵を釘付けにしておく。 その間に騎兵隊で敵の側面に配置された部隊を破り、騎馬の機動力を生かしそのまま敵の背後に回り込む。 キュシトンは騎槍としては長さがあり、その長さを生かして敵を打破った。 そして残る敵を、歩兵と騎兵で包囲殲滅するのだ。
騎兵戦術の欠点は兵站にある。騎馬は補給したくても簡単には出来ない。 大王治世下においても少数であったが、長い戦いによって失われていった。 大王の後継者達は何も努力しなかったわけではなく、ファランクスを重装化して失った騎馬の突撃力を補おうとした。 しかし元からして無い機動力を更に低下させ、結果振るわず敗北に終わった。 敗北知らずのアレクサンドロス大王であったが、後先を考えず個々の戦闘に全て勝利しただけとも言える。 且つ、その治世は10年程であり、敗北せずに夭逝した。 古代において騎兵を巧みに用い且つ寿命の長い武将としては、ローマを攻めたハンニバルがいる。 彼は、戦争前半では騎馬戦術を駆使して殆ど勝利を得た。 しかし戦争開始から20年程経過する頃には騎兵の数でローマに劣るようになり、遂には敗北を喫する。 彼の考えた兵站はイタリア各国の離反であるが、結果は芳しくなかった。 しかも20年も経てば、騎兵補給元の王も交代し、新しい王はローマに味方した。 アレクサンドロス大王が、国を富ませ、騎馬を養い、騎兵を育成する能力にも長けていたかは、今では誰にも分からない。
項目 | 内容 |
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名称 | キュシトン |
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分類 | 長柄/槍 |
全長 | 2.5〜4.5m |
重量 | 1.5〜2kg |
時代 | 紀元前4〜紀元前2世紀 |
地域 | ギリシア |
文化圏 | 古代ギリシア、マケドニア、騎兵 |
更新日:2009/02/14